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夏が終わりに近づく頃、身体もこころもぼんやりしてしまうのは毎年のことで、ぼんやりとした世界に揺蕩っていると、過去の記憶がまつ毛の先のあたりでちかちかと光るような気がする。 高校3年生の夏休み、和歌山...
コロナの影響で短歌の集まりに参加することがほとんどなくなった。さびしい限りである。だが、小池光さんとはここ数年、一年に一度会うようになった。福島県と福島民報社という地元の新聞社が主催する「福島県文学...
2009年に作歌を始めてから、3年ほど投稿に精を出していた。投稿先は「ダ・ヴィンチ」の「短歌ください」(穂村弘 選)、笹公人さんのブログ「笹短歌ドットコム」、そして日経新聞日曜版の「歌壇」穂村弘欄。始めた...
盛岡はあいにくの雨だった。一緒に来た大森さんは「スニーカーが濡れた」と言ってホテルから出られなくなった。 予約した夕食まで、まだ時間がある。僕も部屋で休むという選択肢もあったのだけれど、せっかくの機...
2022年4月13日に、32ページのパンフレット「短歌・俳句・連句の会でセクハラをしないために」が届きました。そもそも、誰が何をするとセクシュアル・ハラスメントになるのでしょうか。 セクハラをする人とされる...
3歳のトーと一緒にドラッグストアの駐車場前を歩いていたとき、以前同じ保育園に通っていたオニくん(小2)と、小型犬の海ちゃん、その飼い主のおばさんが通りかかった。 紫の眼鏡に薄紫のスカーフを合わせたお...
2年ほど前、作家の松田青子さんが新聞の読書エッセイで『幻の朱(あか)い実』について書いていた。児童文学作家・編集者だった石井桃子の自伝的小説である。石井自身が投影される明子と、親友の蕗子の物語だ。小説...
さざなみの下はあかるき死の広場白き脊椎を曳きたる頭蓋 玉城徹(『馬の首』日本文芸社、一九六二年) 二〇一七年に刊行された『玉城徹全歌集』には新鮮な驚きがあった。特に『馬の首』...
夕刻が近づくと竹藪から聞こえてくる声を、ある子どもは「ぎゃあ」と言い、また別の子どもは「ぐわあ」と表現する。現在私が勤務している福島市内の学習塾は教室の目の前が昼間でも薄暗い竹藪に覆われているのだが...
時折、短歌を訳すことがある。仕事の時もあるし、ボランティアの時もある。どの言語からどの言語に訳すかで事情が少し変わるが、日本語から英語の場合だと、五行に訳すことが多い。また、訳された短歌の韻律を五七...
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