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会員エッセイ

2022/06/01 (水)

【第9回】 開運橋のジョニー   土岐友浩

 盛岡はあいにくの雨だった。一緒に来た大森さんは「スニーカーが濡れた」と言ってホテルから出られなくなった。
 予約した夕食まで、まだ時間がある。僕も部屋で休むという選択肢もあったのだけれど、せっかくの機会だから、一人で街を散策することにした。
 はじめての東北旅行である。歌人の端くれとしては、啄木気分で盛岡城跡の高台にのぼって、空に吸はれし十五の心、と呟いてみたいところだが、こうも天気が悪くてはどうしようもない。
 思い立って僕は、北上川のほうに向かった。
 北上川はJR盛岡駅のすぐそばを流れている。不来方橋という名前の橋が架かっているが、開通は二〇〇六年のことで、意外と新しい。そこから北に数分歩くと、たどり着くのが開運橋だ。歴史のある橋、らしい。僕が目指したのは、そのたもとにある「開運橋のジョニー」というお店だった。
 ジャズ喫茶だ。
 ジャズ喫茶といえば、壁がタバコの脂で茶褐色に灼け、スマホは禁止私語禁止なところも珍しくない。僕もそれくらいの覚悟を決めつつドアを開けたのだけれど、店内は明るかった。左手には天井まで届く本棚に、ずらりと並んだジャズの本。右手が喫茶スペースのようで、カウンターらしきものはなく、店主が常連客と談笑しているところだった。
 店主の照井顯さんが、いかに偉大なジャズ人なのかを解説するのは、僕の役割ではないだろう。
 この日、照井さんはインディゴブルーに染めたシャツの上に、黒のジャケットを羽織っていた。御年七十五歳。笑顔とダジャレを絶やさない好々爺で、一見客である僕を快く迎え入れると、レコードのリクエストを訊ねてくれた。
 バド・パウエルをお願いします、と答えたところ、棚から出てきたのは「バド・パウエルの芸術」でも「ザ・シーン・チェンジズ」でもなく、見たこともない真っ白のアルバムだった。
 スピーカーから、ぱらぱらとピアノの音が流れ出す。
 この店は「ジョニー」の名前で以前は陸前高田にあったこと、二〇一一年にここへ移転したことなどを常連さんが教えてくれた。
 ちょっとレコードを聴かせてもらって帰ろう、くらいに思っていた僕は、戸惑いながらも、連休を利用して京都から来た、短歌をやっている、というような話をした。
 短歌。
 と口にするのは、いつまで経っても葛藤がある。苦い思いをした経験も、歌人なら、少なからずあることだろう。いい趣味ですね、とかなんとか。僕の場合、人を運ぶ「担架」と間違えられたことが二回ある。
 照井さんは、担架、もとい短歌と聞いて、特にダジャレを言うわけでもなく(!)、店の奥に姿を消すと、数冊の本を手に戻ってきた。聞けば地方結社の「北宴」とご縁があるらしい。まさか盛岡のジャズ喫茶で結社誌を手にすることになるとは、夢にも思わなかった。よくよく見たら、本棚には『啄木遺骨の行方』など僕の知らない短歌の本がいくつもあった。
 常連さんが帰ったあとも、僕は照井さんと二人、たくさんの話をした。
 葛藤と、それを乗り越えた喜びと。驚きと。
 それから、名残惜しさもあったのだろう。
 帰り際に僕は、頼まれてもいないのに、一首詠んでいきます、と言った。
 紙とペンを借りると、「春雨は開運橋に降りそそぐ」と上句を書いた。あとは「ジョニー」だ。
「ジョニーと呼べばきみは微笑む」は、どうだろう。
「きみは振り向く」は?
 二、三の下句を思い浮かべたあと、これだ、と感じた一首を献上した。みんなから愛される照井さんに、ぴったりだという確信があった。
 受け取った照井さんは、再び店の奥に行くと、今度は筆巻きを手に戻ってきた。その場で拙作を半紙にしたためてくれたのだ。
「めっちゃすごい旅の土産をもらったよ」と、ホテルに帰ってきた僕は、丸めた半紙を大森さんに見せた。「ジョニーから」

  春雨は開運橋に降りそそぐ「ジョニー」と呼べばみなが振り向く  土岐友浩

 ジョニー、どうかいつまでも元気で。盛岡でジャズの灯を守ってください。


プロフィール
土岐友浩(とき・ともひろ)
1982年、愛知県生まれ。2021年から「西瓜」同人。
歌集『Bootleg』『僕は行くよ』。

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