夏が終わりに近づく頃、身体もこころもぼんやりしてしまうのは毎年のことで、ぼんやりとした世界に揺蕩っていると、過去の記憶がまつ毛の先のあたりでちかちかと光るような気がする。
高校3年生の夏休み、和歌山の有田郡に住む祖父の癌がわかり、あまりよくないのだ、と伯父から連絡が入った。本人には告知しなかったので、祖父はそのまま自宅療養を続けていた。真言宗の僧侶である祖父は、お盆には檀家さんまわりをするのだが、この年は伯父が行くことになった。「まだ先のことやと思たあたんやがなあ」と言いながら伯父はウォークマン(このへんに時代が出ている)片手に、読経の練習をしていた。
小学生の頃は毎年、ここでいとこたちと、虫取りしたり、川で泳いだり、山で冒険したり、花火や肝試しをしたりして過ごしていたが、中学生以降は、訪れる機会も減っていた。久しぶりのこの場所は、前ほど親しく感じられなかった。
祖父は伯父が書斎にしていた離れにベッドを入れて療養していた。父たち男兄弟4人も伯母も小柄なのに対して、祖父は頭ひとつ抜けて大きく、柔道をやっていたので、体格もよく、声も通り、人をそらさない話し上手な人であった。その祖父がむすっとした顔で寝ているのは複雑だった。それでも、孫8人全員そろったのはうれしかったらしく、一緒に高校野球をみたり、他愛ない話をしながらたのしく過ごしていた。
受験生だった私は、そろそろ夏期講習が始まる頃であった。縁側で寝転んで世界史の教科書をめくっていたら、祖父がやってきた。叔母たちはこれ幸いと「そしたら伊津ちゃんとここで西瓜食べたらええわね」とカットした西瓜を運んできた。祖父は西瓜が大好きで、いくらでも食べられる人であった。私も世界史を投げ出して、祖父とふたり並んで西瓜にかぶりつく。二切れ目の西瓜に手を伸ばした時、言わなくてはいけないことをようやく口にした。
「おじいちゃん、私、明日帰るね。明後日から学校の夏期講習なんや。」
それまで機嫌のよかった祖父は表情を消し、食べていた西瓜を「まずい」といって縁側から庭の池に投げ入れて、そのまま部屋に戻ってしまった。そのあとどうしたのか、まったく思い出せない。西瓜は池の鯉たちが食べてしまったのだろうが、それもみていない。翌日、自宅に戻り、夏期講習に備えたのだろうが、それもよく覚えていない。
ただ、縁側で祖父とふたりきりで西瓜を食べていた時間は繰り返し繰り返し再生される。繰り返しながら浮かんでは消える、困惑、反省、かなしみ、罪悪感、憐憫、後悔…、いろんなものを繋ぎ合わせては断ち、また繋ぐ。たった一日のほんの数十分のことなのに、いつまでも私に振り返れよと迫ってくる。いや、忘れるまい、手放すまいと踏ん張っているのは私の方なのかもしれない。この日、私が失くしたのは盲目的な永遠性への信頼だったのだろう。祖父は翌年の1月に亡くなった。共通一次の直前だった。
短歌が私の唯一の遊びであった頃、世界と自分が一体であるような万能感があった。言葉が生まれるたびに世界がその輪郭を濃くするように、言葉は世界を手にする鍵でもあった。その蜜月のような時間が過ぎて、今残っているのは多幸感でも万能感でもない。祖父と西瓜を食べた縁側、人生のあらゆる場面に戻っては繰り返す感情の反射が、私を引き戻して、見つめることをやめさせない。今、私が短歌にかかわり続けているのは、戻らない時間を引き寄せて、生き直す、そのためなのかもしれないと思う。
短歌って何だっけという小さな棘のようなものが定期的に痛む。痛むとき思い出すのが。小中英之さんの『わがからんどりえ』のあとがき(追い書きとされている)の中の
季節のなかの対象を物として眺めて、どのように興が動くかで、歌が新鮮になるかどうかぐらいには、心をくばっているつもりである。そのためには歌のまわりは、つねに静寂であってほしいと思うし、言葉も静寂のなかから生まれてくる。その静寂のためにさしさわりのあるものは意識的に捨ててゆくだけである。
と、小池光さんの『バルサの翼』のあとがきの
ぼくにとって作歌するという行為が、あのバルサ材をけずり、みがき、接着していった行為とほとんど重なっていると思うからである。つまりぼくは歌を〈作って〉きたのである。歌をうたったのでも、詠んだのでもなく、歌を作ったのである。
だ。この自意識と覚悟はまぶしく苦しい。そして「作中主体」とかいう逃げがないのがいい。
今年観た映画の中で一番短歌的だと感じたのが、エヴァ・ユッソン監督の「帰らない日曜日」だった。原作はグレアム・スウィフトの『マザリング・サンデー』で、主人公ジェーンは身分違いの恋人との最後の一日を繰り返し思い起こしながら、言葉にしようとする。作家となったジェーンは、それが彼を生かし続け、自分の存在そのものであるように、世界大戦を越え、はるかな時が流れても言葉にすることを止めない。そのたびに、記憶は研ぎ澄まされ、ふかく掘り起こされていく。自分以外の他者の感情や行為も想像し、加味していくことで、その一日は何にも代えがたい、永遠の1日になっていく。「あった」ことを「なかった」ことにしない。思う限り、言葉にする限り失うことはない。短歌の持つ最もうつくしい力もそれだと思うのだ。
今、私の枕元には古い目覚まし時計がある。デジタルで単1の電池で動くのだが、最近2日で1分ほど進んでしまうようになり、信用できない時計となった。元々祖父の使っていたもので、亡くなった後、父から妹、そして何故か私のところにやってきた。進みがちな時計はせっかちだった祖父を思わせる。私はいつかこれも歌にしてしまうのだろう。失わないために。
あなたとはやさしい地図だ行先も帰る先もなくただそこにある
鶴田伊津『夜のボート』
プロフィール
鶴田伊津(つるた・いつ)
1969年 和歌山県新宮市出身 短歌人会・ロクロクの会
歌集『百年の眠り』『夜のボート』