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2022/10/01 (土)

【第13回】 山縣有朋の歌〜尽くしし人〜   林 和清

 菅元総理大臣の弔辞に引用されてから、山縣有朋の詠んだ歌が話題になっている。ハルビン駅で暗殺された伊藤博文への弔意を表したものだという。
  
  かたりあひて尽しし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ

 山縣と伊藤が、政治思想の相違を超えて、互いを認め合い深く交流していたことはよく知られている。何よりもよき相談相手だったらしい。この歌の初句「かたりあひて」はまさにそのことを示している。ただ「尽くしし人」の「尽くす」は他動詞なので、やや言葉の続き方がぎくしゃくして落ち着かない印象がある。山縣自身を主語として、「伊藤に尽くした」という意味とも取れるが、そうすると「語り合う」「尽くす」「先立つ」の主語がころころ変わることになり、不自然な展開となる。そうではなく「語り合いを尽くした」という意味にとって、丁寧に言えば「いつも語り合い、その語り合いを尽くした人」と表したかった、ととると歌意はよく通る。弔意を表す歌に修辞の技巧を凝らす必然性はないと思われるので、素直に思いを詠んだのだろうが、「かたりあひて尽くしし」という語法のかすかな違和感が、はからずもこの歌にもたらした捻れによって、深みを感じさせる効果をもたらしている、と言えるのではないだろうか。下の句には、初代内閣総理大臣を暗殺という形で失ったあとの国政を案じる気持ちが率直に表現されているので、「尽くしし」の違和感がなければ、印象は常識的なものにとどまっていたのではないか、とも思われる。

 山縣は1838年生まれ、伊藤は1841年生まれで、安倍晋三より数歳年上の菅義偉の弔意には、暗殺による急死ということだけなく、重なる部分が多く含まれることはよくわかる。おそらく短歌に関わることのない人々には、菅の恋慕のような弔意とともに、歌の調べが胸に沁みるような感動を覚える弔辞であったのだろうと思われる。歌のもつ力はこういうところによく発揮される。
 山縣有朋に対して私は、軍国主義の流れを作った人物として嫌悪する気持ちが強かったし、山縣人脈をつくりあげるなど、権力志向の固まりのようにも受け取っていた。歴史上の人物に功罪両面があるのは当然であるし、見方を変えれば、国と国民に奉仕し、貢献した人物という評価が出てくることもあるだろう。それは一旦置いて、文化の面を見てみると、生涯に詠んだ和歌数万首というのは突出しているのはまちがいない。明治天皇御製9万3032首にはおよばずとも、与謝野晶子並の多作を誇っている。秀歌はあるのだろうか。
  
  なき人の魂のゆくへをつげがほにをちかへりても啼くほととぎす

 高杉晋作の死に際して詠まれた歌である。1867年という明治改元の前年なのだから、いかにも古風なのは仕方がない。「つげがほ」(つげているような顔)という古語、「をちかへり」(若くよみがえる)という古典的発想など、旧派和歌の世界そのものである。慶応三年にしてみてもあまりに古歌めいている。

  ひさご酒君がすすめし有様は目にも耳にもなほ残りけり
 
 ところが、高杉晋作没後50年の遺品展で、かつて高杉から進呈された愛用のヒョウタンと再会したときの歌は、古歌調ではない。ストレートな表現だが、「目にも耳にもなほ残り」のあたりは言文一致的な明治文学の影響が感じられる。あきらかに50年で新しい歌風に変化しているのがわかる。まあ半世紀もたてば変わるのは当然だし、とりわけて秀歌というわけでもない、とは思うが。

 山縣有朋は、足軽の身分ではあったが、幼少期から父・有稔の薫陶により和歌の素養を身につけていたということであるし、おそらく何か事あるごとに歌を詠み置くことは習慣となっていたのだろう。それは生活の中の日課というよりは、節目節目において自らの心の置き所としてあり、けじめのようなものであったのだと思われる。ならば、歌の優劣を論じるのは無粋なのかもしれない。
 ただ、伊藤博文への弔歌にある言葉の波立ちが、短歌に携わる者に対して、かすかにひっかかりを感じさせ、その分、忘れがたい歌となっているところが、私たちは歌に何を読もうとしているのか、という根源的な問いにも通じるように思うのである。

 山縣有朋は1922年に85年の天寿を全うした。国葬にされたが、当日は2月の寒い雨が降り、一般の参列者も少なく、寂しい閑散としたものだったという。



プロフィール
林 和清(はやし・かずきよ)
1962年、京都市出身。「玲瓏」選者、現代歌人集会理事長。
歌集に『ゆるがるれ』(1991年、第18回現代歌人集会賞)、『朱雀の聲』(2021年)などがある。
著作に『日本の涙の名歌100選 アンソロジー』(新潮文庫)など。

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