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会員エッセイ

2022/03/01 (火)

【第6回】 牛肉のバタ焼き考   澤村斉美

 2年ほど前、作家の松田青子さんが新聞の読書エッセイで『幻の朱(あか)い実』について書いていた。児童文学作家・編集者だった石井桃子の自伝的小説である。石井自身が投影される明子と、親友の蕗子の物語だ。小説中で滝川事件が起こっているので1933年前後のことと思われるが、戦前の昭和期、二十代半ば、独身の女性二人が心を支え合いながら生きていく。
 松田さんの書き方がとても「旨」くて、「この二人がとにかく食べることが好きなところが素晴らしい。特に牛肉。…明子が断れなかったお見合いの打ち合わせの後、荻窪の家に肉の包みを持って現れ、牛肉のバタ焼きの上に大根おろしをたっぷりのせて二人でむさぼり食べる場面など…」とある。「牛肉のバタ焼きの上に大根おろしをたっぷり」が私の心を捕らえる。肉は薄切りか、それとも奮発して厚みのあるステーキ用がいいのか、こま切れでちゃっちゃと炒めてしまってもよいのかと、この一節を前に、自分が作って食べることについての想像がとまらない。この料理の具体をもう少し知りたいがために厚い文庫上下2冊の本書(岩波現代文庫)を手に入れた。
 意外にも早くくだんの場面に至る。上巻の168ページ。明子は、世話になった小母さんに強引に見合いを計られ、もう一人の世話人の老婆に服装をはじめとして人格にもさんざんケチをつけられ、二十四歳にもなったら早く結婚しなければならないと説教までされる。どっと疲れ、渦巻く悪口雑言を身内に抱え、明子は蕗子の家を訪れる。牛肉のバタ焼きの箇所を抜粋すると次の通り。
「着くずれた着物に、テーブルに投げ出された肉の包みと大根一本」
「あら、バタ焼き? すごい。ちょうどいま御飯炊けたとこ」
「二人は二人の好むバタ焼きの肉の上へ、大根おろしをたっぷりかけて貪り食った」
 牛肉の種類は判明しなかったものの、実際読むとやはりさらに良い。荒れた感じで無造作にどさっと買われてきたのであろう牛肉、貪り食うほどの肉と大根おろしの量、炊きたての御飯付きだったところまで読めば、お腹はぐうとなる。読書はさておき、翌日にはもう赤身多めの薄い牛肉で、バター焼き、大根おろしたっぷり(ぽん酢を少し垂らしてみた)を実行した。以来、この料理はごちそうが食べたくなったときの私の定番となっている。
 上巻のそこまで読んだだけで、この小説は「おいしい」ぞ…と直感したのだが、まさしく、
「(蕗子が)驚くほど手早くつくったおいしいライスカレー」
「烏賊のくるみ和え、さといもと鶏の煮つけ、漬け物何種類か」
「伊勢えびのぶつ切りが入った味噌汁」
「熱い若布の味噌汁で朝食」
「鰹のぶつ切りの載った大皿、焼き茄子、いんげんのみそ汁」
「蟹のすり身の味噌汁」
「ローマイヤのソーセージ、ハム、サラダ」
「ダンプリング煮込み、サラダ、何かお菓子、果物」
などと、思わず手がとまるほどのおいしそうな料理が次々に出てくる。石井桃子という人は食についてどのような考えを持っていたのだろうか。戦時を生き抜き、戦後は数々の子どもの本の名作を世に送り出した。『幻の朱い実』を書き始めたのは79歳のころで、87歳の1994年に刊行。おそらく記憶のなかにあったのであろう、二十代当時に食べていた物を鮮やかに言葉でよみがえらせる。子どもの本ではたびたび、よだれが出そうなほどおいしそうなパンケーキやスープなどのごちそうに出合うことがあるが、『幻の朱い実』に出てくる料理はそれらに似て、どこか大人のなかに残っている「子ども」の自然な欲にうったえて、生き生きと輝く。
 おいしい料理を拾い出すうちに、ふと気づいたことがある。これら生き生きと輝く料理はすべて、明子と蕗子が一緒に食べているものなのだ。一方で、それ以外の場面での食べ物はそんなにおいしそうではない。明子は、幼いころに会ったことのある兄の友人・節夫と再会し結婚することになるのだが、その節夫との食事の描写は素っ気ない。例えば、初めて一緒に食事をする場面など、
「裏通りの小さなレストランにはいった。食事がすむと…」
とだけ。おそろしいほどの素っ気なさである。何を食べたかまったく表されていない。節夫との食事はその後も繰り返されるのだが、いずれもそんな調子である。
 節夫は結婚話をすることを目的にたびたびに明子を訪れるが、明子は結婚については、蕗子との交流や、自身の生き方を真剣に思うがゆえに葛藤がある。そんな思いを抱える明子と節夫が、珍しく同じものを口にする場面がある。真夏のラムネである。節夫は「ラムネはこう飲むんだ」と言ってぐびぐびと一気に飲む。明子はそんなふうには飲めない。挙げ句には「危うくラムネで窒息しかけ」る。  
 ……こうして拾い上げているうちになんだかぞくぞくとおそろしくなってきた。小説の途中、蕗子は思想犯とのつながりを疑われて留置場に入れられるのだが、明子に宛てた手紙の中では留置場のご飯のことが描写されている。
「たくわんは荻窪市場のと伯仲。おみおつけは、それでも大根がちやんといてふに切つてありました。麦めし二口。たくわん一切、味噌汁一口で朝食終わり」
 悪くない。私の朝ごはんよりもおいしそうに思える。留置場のご飯でさえこのように味が想像されるような描写が成されているのに、節夫との食事はまったく見えてこない。もはや、節夫との食事を描かないこと、素っ気なくすることは著者による呪詛のようにも思えてくる。
 著者・石井桃子は、もちろんのこと、意図してこのように書き分けているのだろう。自分の信じた仕事をしながら独立し、腹蔵なく語り合える友と、笑い合い、支え合い、そんなふうに好きに生きていきたい、自由でありたい…と願う心が、明子と蕗子の関係に、そして二人の食事の輝きに投影されている。
 結婚して2か月ほどたち、明子が述解する場面がある。
「それにしても、結婚という共同生活は、何という無理をお互いに強いるものだろう。節夫という一人の男、明子という一人の女、この別々の精神、別々の肉体、別々の感じかた、別々の健康状態、その他別々の何、別々のかにをもった人間が、いっしょに住み、どういう点で協調し、またどういう点で独立してゆけるのか」
「明子は、この二カ月近くの経験で、まえに自分が球体であったとすれば、いまではある部分、押しつぶされて、歪つになりはじめているような気がした。蕗子との場合では、いくら親しく言いあい、勝手なことをしあっても、こうした感じをもったことはなかった。どこまでいっても、蕗子は蕗子、明子は明子。あれは、ふしぎなことであった」
 石井桃子の食べ物の描写が、「どこか大人のなかに残っている『子ども』の自然な欲にうったえて、生き生きと輝く」と先ほど書いたが、ありのままに生きようとする子どもの自然な欲求を損なうことなく持ち続け、しかし、それが必ずしもかなわない大人の苦みも知りながら尽くされた筆という感じがして、この小説の筆致には幾重にも驚くのである。
 ジャンルを問わずさまざまな作品で、シスターフッドが描かれるこのごろ。最近ではテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」(2021年)における「とわ子」と「かごめ」の関係、須藤佑実のマンガ『夢の端々』における「貴代子」と「ミツ」の関係が印象深い。『幻の朱い実』はこういった作品の源流に位置するように思う。


プロフィール
澤村斉美(さわむら・まさみ)
1979年岐阜市生まれ。2006年「黙秘の庭」50首で角川短歌賞受賞。歌集に『夏鴉』(2008年砂子屋書房。第34回現代歌人集会賞、第9回現代短歌新人賞受賞)、『galley ガレー』(2013年青磁社)。塔短歌会編集委員。

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