アクセス個人情報保護方針

〒170-0003 東京都豊島区駒込1-35-4-502
TEL:03-3942-1287 FAX:03-3942-1289
(平日10時〜16時)
 
会員エッセイ

2022/02/01 (火)

【第5回】「死」と向き合う   楠 誓英

  さざなみの下はあかるき死の広場白き脊椎を曳きたる頭蓋
            玉城徹(『馬の首』日本文芸社、一九六二年)

 二〇一七年に刊行された『玉城徹全歌集』には新鮮な驚きがあった。特に『馬の首』の全貌を知ることができ、若かりし玉城の軌跡をつぶさに見ることができた。
  
  小犬つれしやさしき少女の顔をして夕べの雲はくづれつつゆく
  太陽の青き破片のごとき魚そらにうたふを今朝はきくべし
  神の血のしたたるごとし対岸の空ひとところ黄にかがやきて
  鳴く虫のごとき顔して暗黒にわれをみちびかんとして祖(おや)ら立つ
  かぎりなき微笑もちて夕ぐれの水底にをるものある如し
 
 一首目、「小犬つれしやさしき少女の顔」は下の句にかかる比喩である。二首目も「太陽の青き破片」のように「魚そらにうたふ」とあるが、全く現実を説明していない。三首目の「神の血」の比喩のスケールがあまりに大きい。四首目、「鳴く虫のごとき顔」は「虫が鳴くごとき」といった明快な表現はあえて使わない。五首目にいたっては、何を譬えたのか比喩の対象すら書かれていない。玉城は比喩と対象とを徹底的にずらすことで、言葉から生まれる美を表そうとしたのではないか。
  
  つぶやきて街灯は言ふなまぬるきはやての中に街灯は立ち
  山なみの青きが中へ燃えつかんばかりに澄みて線路はカーブす
  馬方をはなれてひとり山みちを馬はくだり来その山のみち
  鳰どりのめぐりを涵(ひた)すかげの中きらめく針はしきり現はる
 
 また、係助詞「は」を効果的に使った歌も多かった。「は」を用いることで、「街灯」、「線路」、「馬」、「針」にスポットライトが当たり、まるで意思をもっているかのように動き出す。
 『左岸だより』から、「いづこにも貧しき路がよこたはり神の遊びのごとく白梅」は昭和二十二(一九四七)年、二十二歳の作品であることが分かっている。およそ二十代にあらゆる歌の方法を試みたのであろう。玉城は「あとがき」において、自らの姿勢を高らかに述べている。
  
これらの作品に、わたしは、自己の刻印を示そうとしたのではなかった。抽象的思考―言葉をかえていえば、一の「美」への祈願―は、つねに、自己の抹消の企図をふくむのである。
 
 玉城の試みは、「われ」を抹消するためのものであったのだ。しかし、歌集を通読すると、そうとは言い切れない歌も多かった。
  
  卒業近き生徒が室に入りくれば顔あげて見るわれの座席より
  机の下にはだしの足の大きかりしかの若者の死を伝へ聞く
 
 自己と生徒との距離をリアルに表現している。二首目は、『左岸だより』で詳述されており、裸足の生徒が自殺しても誰も気に止めない、戦後の淋しい光景を切り取っている。ここには、はっきりと作者自身が刻印されている。また、戦争の歌にも同じことが言える。
  
  冬空は胸に灼きつけりわれもまた過ぎし戦ひの兵士の一人
  原爆を投下せしアメリカの卑劣なるこの沈黙を見るべし世界も
 
 玉城は、昭和二十(一九四五)年三月二十日、二十一歳の時に福山市の陸軍船舶機関砲部隊に入隊し、九月に復員している。宮柊二のように一兵卒として戦地に赴くことはなかった。
  
  死者のひげのびゆくといふことよりもしづけし湖の岸は芽ぶける
  かなしみに波だつごとき暗黒に入りゆかんとす道を曲れば
  くらやみの襞より見ればいしみちは脆き夜空につづきてゐたり
  地下壕のさむき眠りよりめざめるわれならなくにきらめき滴る
 
 これらの歌を見ると、いかに戦争が若い玉城の心を蝕んでいたのかが分かる。何を見ても、「死」や「闇」がべったりとはりついている。
  
  さざなみの下はあかるき死の広場白き脊椎を曳きたる頭蓋
 
 冒頭の歌は、「かぎりなき寂しき波のおきふしに聴くしづかなる波の響や」から始まる連作の一首である。ぞっとする歌である。さざ波の下には「あかるき死の広場」が広がっており、頭蓋が白い脊椎を曳いて漂っているのである。「さざなみ」、「あかるき」、「白き脊椎」と色彩は白く明るいのであるが、とてつもなく暗く冷えている。玉城は、宮のような「リアルな死」ではなく、「死そのもの」を捉えようとしたのではないか。
 戦中、戦後は「死」に満ちていた。そして、表面的には平和な時代を経て、今、新型コロナウイルスによって、全世界で五五五万人、日本でも二万人近く亡くなり、また今も増え続けている。感染者、重症者、死者は数字によって日々更新されていく。また、重症者は隔離され、家族は看取ることも、十分な葬儀もできない。
 このリアリティーに欠いた「死」といかに向き合うのか、玉城の歌は静かに語りかけている。


プロフィール
楠 誓英(くすのき・せいえい)
一九八三年、神戸市生まれ。歌集に、『青昏抄』(現代短歌社、二〇一四年)、『禽眼圖』(書肆侃侃房、二〇二〇年)がある。共著『恂{邦雄論集』(短歌研究社、二〇二〇年)。

トップページ現代歌人協会について声明書籍販売リンク集お問い合わせコンプライアンスアクセス

Copyright © 2021 KAJIN-KYOKAI . All rights reserved.