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2024/08/04 (日)

【第35回】かつて、私たちは「短研」だった  鈴木英子

 7月12日、國學院大學短歌研究会の先輩が亡くなった。66歳、あまりに突然だった。6月に関東在住のメンバーで集まったばかりだったし、私の2学年上の、彼を含めた3人は7月8日、9日と一泊の旅行をしていて、行けなかった私も同行の先輩がFacebookにあげる写真を見ていたところだった。何の悪い冗談かと、送られてきたLINEを簡単には信じられなかったのも当然だろう。
 ご家族は私たち以上に信じられず、それでも突然の死に慌て戸惑いながら、連絡をしなければと細君は先輩のスマホをひらこうと試みた。結局、私たちが弔問に伺った15日の時点でもあけられていないということだったが。

  「ぴーなつ、われわれ博多駅に着くよ。」電話の主は顕れて雨       福田淳子

 これは2018年5月のこと。「ぴーなつ」は鹿児島出身の先輩が可愛がった、同じく九州出身で、現在福岡に戻っている、「八雁」に籍を置く福田淳子。事前予告もせず、そんなこととは知らない細君を伴い、先輩は博多駅に着くと福田に電話をかけてきた。ほんの近所へ来たかのような電話に、たまたま仕事のない日であった福田は、夫妻を太宰府へ案内したと言う。息子の学業を心配して、などとは他言してくれるなと、照れながらその理由を語ったそうだ。電話をして福田がつかまればそれはラッキーだし、ダメならダメで、当日の連絡なら断りやすいとでも思ったのだろうか。前々から予告しては、縛ることになる。そんな気遣いをするひとだった。
 大雨の太宰府を3人は巡り、その後、口下手な夫では心配だと思ったのか、細君のスマホから福田へお礼の電話があった。福田のみ、この時に細君と連絡先を交換していたのだ。夫の話に出てくる「短歌研究会」のメンバーへの連絡が出来ると、6年前の福岡への旅を一条の光のように思い出したことだろう。しかも、この日、福岡在住の福田が、何の巡りあわせか義理の姉の法事もあり、喪服を持って東京に来ていたのだ。
 かくして、何日か前に八ヶ岳で共にビールを飲んだり温泉に浸かったりしていた同学年たちと、「それはお祝いをしないといけない」と先輩が音頭をとってくれ、「ながらみ書房出版賞」受賞を6月に祝ってもらった私と、通常なら福岡から冥福を祈るしかなかっただろう福田と、葬儀の前のそのひとが安置されている自宅へと伺った。
 夫のプライベートな友人たちの連絡先もわからずに憔悴する細君と、先輩に似た男の子(男性というべき年齢だが、私たちには学生時代の彼を思い出させる男の子である)ふたり。そして、ただ眠っているだけのようなおだやかなひと。
 私たちは40年ほど前、学生短歌会で知り合ったけれど、卒業後の短歌との関わり方はそれぞれで、先輩に関しては遊び程度に作っているという話すら聞いたことがない。思いがけない永遠の別れに、かつて「短研」だった私たちは何とかそれらしく追悼の歌を捧げた。

  湯あがりのビールの泡を髭にしてホップの苦み語るよ君は        横山秀樹
  惜別の思ひはなべて鈍色(にびいろ)の渋谷の丘より見るゆふまぐれ   福田淳子
  飲み干してしまはぬやうに献杯はかのランボオのドライマティーニ    安藤 正
  動かない目もくちびるも見しことなく動かないひとに会う七月や     鈴木英子

 その先輩、泊口裕二は、「國學院大學に入学するなら、短歌を学びなさい」と、歌人であり教師であった川涯利雄の言葉に従い、短歌研究会に入会したのであった。


プロフィール
鈴木英子(すずき・ひでこ)
1962年東京生まれ。「こえ」代表。歌集に『水薫る家族』『淘汰の川』『鈴木英子集』『月光葬』『喉元を』。日本歌人クラブ中央幹事。現代歌人協会会員。

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