「はて?」と、NHK連続テレビ小説「虎と翼」の主人公のように呟いてみる。わたしは一ヶ月に何首ほどの短歌を読むのだろうか。
ちょっと気になったときがあり、4月の日記のメモを辿ってみると、歌集は7冊読んでいる。その他に各短歌総合誌紙、小誌「ヤママユ」はじめご恵贈いただく数冊の結社誌や同人誌、購読している全国紙の歌壇欄、そして「ヤママユ」の大阪、兵庫、奈良の各歌会に出された詠草などに目を通しているので、おそらくは5,000首をくだらない数の短歌を読んでいることになる、ということにあらためて驚く。しかしこのうちどれくらいの歌が、心に / 意識に残っているだろうかと自問すると、実に心許ない。心の真実、心の叫びとして歌を詠んでいる作者には申し訳ないことであるが、短歌も日々消費されていくのがわたしの現状であろうか。
いいなと思った歌を少しでも記憶に刻んでおくために、しかしながら、できるだけ歌集は10首選を心がけ、総合誌紙や結社誌等の歌は雑記帳にメモしておくようにしている。年のせいか、それでもどんどん忘却という消費装置に歌は呑みこまれてゆく。
「はて?」どんな歌だったのだろうと呟いてみる。一体の案山子がわたしの記憶の中にぽつねんと佇んでいる。雑記帳を繰ると次の一首がメモされていた。
秋夕焼刈田のあとにぽつねんと坊やとおぼしき案山子が立てり
これは、昨年(R5)12月のヤママユ兵庫歌会に出された詠草中の一首である。作者は中村悦子、ヤママユの会員である。失礼を省みずに言うと、それほどうまいという歌ではないかもしれない。〈刈田〉で秋とわかるので、初句の〈秋〉は不要であろう、〈夕焼けの〉とか〈夕焼ける〉としてはどうだろうか、と評したと思う。しかし収穫のにぎわいの後の夕焼けの中に取り残された〈坊やとおぼしき案山子〉のさみしさ、もの悲しさが、しらべと共に、わたしの心の中に取り残された。その案山子の〈ぽつねん〉さが、敗戦直後の日本の、そして今のウクライナ、ガザの戦災孤児の悲しみや痛みを呼びこんで。
ウクライナやガザの惨状は今も多くの短歌に詠まれているが、目を通したどんな短歌よりもこの一首が、そのときのわたしの心の中へ、ある種のリアリティをともなって、戦争の悲惨さを呼びこんだのである。昨年10月の第44回全日本短歌大会において、久々湊盈子は、「一首に内在するもの」と題する講演の中で、次のように語ったという(「歌壇」R6 1月号)。「一首でどれだけ読み手が参加することができるか、一首に内在していないものまで読むのも短詩型のよさ、そこにあるものを心の中に取り込んだ時にどれだけ膨らませられるかが大切」と。このようにして、「心の中に取り込んだ」〈案山子〉はいまもわたしの記憶の中にぽつねんと佇んでいる。
「はて?」と呟いてみる。映像だけでなく、いまもわたしの耳の中に棲みついている声がある。小池光歌集『サーベルと燕』にも詠まれている次の一首の中の声である。
五歳児が書きたる文が電撃す「ゆるしてください おねがいします」
悲惨なのは戦災孤児ばかりではない。いまも親に虐待されている幼な児がいる。大辻隆弘はこの一首を次のように読んでいる(現代歌人集会in 富山「言葉を〈歌〉にする」 小池光に聞く)(「歌壇」R5 11月号)。「三年くらい前に(注 2018年3月初旬)、児童虐待の痛ましい事件がありましたね。そのニュースを聞いた時の歌です。これは「電撃す」に感動しましたね。(略)動詞になることによって「電撃」という言葉のもともとの意味がズーンと心に響いてくる。」
大辻らしい言葉に焦点を当てた読みである。名詞を動詞化することによって、痛ましい事件を〈歌〉としてより心に響かせるための作歌のヒントを提示しているような読みである。歌会でもそうであるが、他の人がその一首の歌をどのように読んでいるのかを聴く、あるいは鑑賞文として読むのは、歌人の喜びのひとつであろう。小池のこの一首に呼応する同時代の声として、わたしの拙い歌を記しおく。
をさなの泣き声はこぶ夜のほととぎす ゆるして おねがひ ゆるしてください 『漆伝説』
戦災孤児の泣き顔や幼児虐待のニュースは、わたしたちの未来が虐待され、弑されるかのように、老いそめた身にはこたえるのである。「はて?」とまた呟いてみる。虐待され亡くなった幼き者のたましいは、ほととぎすの声となって、どこへ運ばれていくのだろうか。
プロフィール
萩岡良博(はぎおか・よしひろ)
1950年奈良県生まれ。「ヤママユ」編集人。歌集に『周老王』『漆伝説』(第51回日本歌人クラブ賞)等。歌書に『われはいかなる河か』『やすらへ。花や。』等。