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会員エッセイ

2024/05/01 (水)

【第32回】 学校事情     棚木恒寿

 たいていの歌人には、もの書く仕事以外に本業がある。私の場合は高校の数学教員。たまには歌から離れて……ということで、近頃の学校事情について書く。

〇黒板がない!
 今の勤務校は開校10年目。まだ新しく、いろんな設備が近未来風である。まず、黒板がない。教室の前方は左半分がプロジェクタのスクリーン、右半分にこぢんまりとホワイトボードがあるのみ。転勤してきた時は、驚愕した。当方、全身チョークにまみれることが熱心な授業をしている証……と思っていた節のあるオジサン。チョークが恋しく、黒板に殴り書き出来ない欲求不満が溜まった時期もありました。
 ちいさなホワイトボードでいったいどうやって授業をするの!ということになりそうだが、ここで活躍するのがタブレットである。文部科学省にギガスクール構想なんていうものがあり、コロナ禍で予算がついたのか急にタブレットがやって来た。その勢いは激しく、各学校の情報担当教員が超過勤務の果て、やつれながら恨めしそうに播州皿屋敷よろしくタブレットを「いちま〜い、にま〜い」と数えていた……というのはまた、別の話。使ってみると意外に便利なことも多い。生徒が板書をノートに写す時間を待つ必要がない。写真でカシャッと撮れば終わり(私の悪筆や計算間違いが永遠に写真に残るので、ちょっと恥ずかしいが)。そもそも要点は最初から教師がPDFで配信することが多い。これで生徒も教師も板書という苦行から解き放たれる。サクサクッと授業が進んで気持ちいいことこの上なし。空いた時間で、生徒は自主的に難しい問題に取り組む…とはなかなかならず、You Tubeの画面が散見されるのは、まあ、ご愛敬でしょう。

〇心の支え
 今の勤務校は昼間の定時制。特別な生徒募集をしており、不登校経験者も多いということで人の配置が手厚くなっている。授業にはSA(スタディーアシスタント)の先生と一緒に臨むことが多い。授業に複数の大人がいるというのが、現在の学校の風景である。このSAの先生、もはや私にとっては神である。東に授業が分からない生徒、西に教員の指示を聞き洩らして困っている生徒、北に人間関係で悩んでいる生徒、南に家庭事情が厳しい生徒がいれば、シェパードのごとき嗅覚で察知し、寄り添ってくれる。お陰で私のようなしがないオジサンでも、何とか授業を成り立たせることができる。
 そんなSAの力をもってしてもどうにもならないのは、生徒の知的好奇心である。なんで数学やらなあかんのという、哲学的な問いに私は応えることができない。サイン、コサイン、タンジェント、それ食べ物ですか?美味しいですか?美味しくないなら要りません。授業が始まれば光を失う眼で生徒は訴える。「笛吹けど踊らず」「もの言えば唇さみし」、しまいには「縁なき衆生は度し難し」なる言葉が頭の中をぐるぐると回るようにある。オジサンの危機である。中年男性とて、心は硝子だ。
 そんなとき、救世主のように現れるのがSAの先生である。今コンビを組んでいるT先生はすごい。私が説明をするたびに教室の後方で頷いてくれる。興味津々という表情をする。ここ工夫して喋ってんねん!という所で、頷きは深くなる。今日は喋りの調子がいいぞというときは、大きな頷きが連続する。ブンブンと音がする。首が痛くならないのだろうかとちょっと心配になる。つまらないギャグにも大きなリアクションで笑ってくれる。喋っている方としては快感極まりない。あれっ?さっきまであんなにテンションダダ下がりだったのに……。T先生のおかげで、私の活力は回復する。もはやT先生なしでは授業は成り立たない。私の心も成り立たない。面倒くさいオヤジ心を理解して動いてくれるT先生に感謝である。今の学校の授業は、孤独ではない。

〇余録
 勤務校の校歌の作詞者はなんと吉川宏志さん。掃除の時間には校歌が流れ、吉川さんを思い出す。すると遅れているあの原稿、この原稿を仕上げなければ心が奮い立ち、なんとか歌人を続けることが出来ています。


プロフィール
棚木恒寿(たなき・こうじゅ)
1974年香川県生まれ。音短歌会会員。歌集に『天の腕』(ながらみ書房)。

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