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2023/08/31 (木)

【第24回】 令和の短歌ブームといわれるもの―亜種現代短歌   石川幸雄

 正岡子規が「歌よみに与ふる書」を連載したのは31歳(明治31年)、与謝野鉄幹が「明星」を創刊したのは27歳(明治41年)、若山牧水が「創作社」(雑誌「創作」)を立ち上げたのは26歳(明治44年)のときであった。沼津の若山牧水記念館で、20代の主宰である牧水を笑顔で囲む若者たちのパネルを見たとき、やはり、詩歌は若者の文学であったのだと思った。斎藤茂吉が「アララギ」の発行人になったのは44歳(大正15年)、敗戦後まもなく桑原武夫が「第二芸術 ―現代俳句について―」、その二年後に小野十三郎が「奴隷の韻律」を発表したときは、共に40代、それに抵抗した俳人、歌人らは概ね30代半ばから40代半ばであった。ざっと振り返った短歌史の近代から現代への流れのなかに、50代の歌人ですら出る幕はなかったようだ。ちなみに昭和25年の平均寿命はいまより20年以上短い。
 何歳を「若い」とするかは立場や環境、時代によって異なるが、特に平成以降の歌壇の感覚は世間と大きくかけ離れていた。
 「結社の代表に『あんたはまだ若いんだから』なんて言われるんだからまいっちゃうよ。もう70歳を過ぎてるんだよ」と苦笑する歌人がいたし、壇上に立つ60代の歌人を指して「たまには若い人の話を聴くのも良いですね」と歓迎する歌人もいたし、58歳の私をつかまえて「あなたは若くていいわね」と言う歌人もいる。高齢化や後継者不在などを理由に解散する結社や短歌会があるが、つまりはこういうことなのだ。
 そんないま、Z世代の若者を中心とした空前の短歌ブームだという。「ブームらしいね」「そうらしいね」というやり取りがブームを広げるが、私の生活のなかで短歌が話題に上ることもなければ、新刊歌集を買ったという話も聞くことはなかった。「こちらは有名な歌人さんよ」と存じ上げない人を紹介されたときや、「人口に膾炙している作品です」と知らない短歌を見せられたときの気分に似ているが、私の知る限り短歌ブームは2年近く続いていることになる。 
 最近チェックしたインターネットの記事の見出しは「SNSを中心に、若者に広がる現代短歌ブーム」、「全国で大流行なぜ? 短歌ブームの深層」、「三十一文字に何を込める?令和の「短歌ブーム」SNSで若者けん引」、「SNSで若者世代の短歌ブーム 詠む理由は「自己開示の化け物」?」などと、短歌ブームをブームたらしめている。ある記事には「1300年の歴史を持つ短歌が一大ブームを巻き起こしている。歌人への登竜門とされる短歌賞への応募は直近20年間で最多。」とあり、「実際にSNSへの投稿で人気に火が付いた歌人もいる。」とし、その歌集の発行部数は「歌集としてはヒットと言われる数千部を超え、1万7000部に達した。」と書かれていた。
 昨年あたりから短歌関連のテレビ番組がいくつか放送されていて、「ほんたうに俺でよかつたのか」、「あの胸が岬のように遠かった〜河野裕子と生きた青春〜」、「歌人/木下龍也▽31音に込める…あなたの心に寄り添う“言葉”」、「平凡な日常は、油断ならない〜歌人・俵万智」、「空前の“短歌”ブームが映すもの 令和の歌に託した思い」、「響きあう歌 ―コロナ禍 喪失と再生の物語−」を録画したが、いずれも未再生のままであった。単に見るのが怖かっただけだが、先日、NHKの「響きあう歌…」を見てみることにした。
 「新型コロナの長いトンネルを抜けると街には短歌が溢れていました」という思わせぶりなナレーションで始まり、「57577、31音で織りなされる短歌。今SNS上には毎分のように短歌が投稿され、その数は一年間で百万首とまで言われています。空前の短歌ブームの担い手は10代から30代の若者たち、ポップな言葉で瑞々しい歌が紡ぎ出されます。」と続き、押し付けがましいBGMが流れる。「57577、31音で織りなされる短歌」と説明しておきながら、紹介される短歌は57577の5句ではなく意味で区切って朗読され、作者もそのように読んでいる。「こんな朗読をしたら31音の散文であって、定型詩じゃないよ」と言いたくなったが、このモノ申したい感覚は古いのだと自覚する。
 「句またがり」の読み方については、『新・百人一首』(文春新書)に載っている選者と檀ふみ(ゲスト)の座談会で語られていて、塚本邦雄の<日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも>を取り上げ岡井隆が、「意味を捉えると「日本脱出したし」と「したし」まで一気に読みたくなりますけど、ここは「日本脱出」でいったん切る。それから「したし皇帝」「ペンギンも」とつづけるんです。」と説明している。このことは塚本自身がNHKの番組に出るたびにアナウンサーに指摘していたという。檀ふみは「私も五七五七七で切れない歌は、意味で区切って読んでました。」と話し、馬場あき子は「いいのよ、その読み方で。朗読を聞く人は、意味がよくわかるんだから。」と肯定していたが、意味がよくわかるからそれで良いという考えに、またもやひとこと言いたくなってしまう。
 永田和宏は自著『近代秀歌』(岩波新書)で、石川啄木の<東海の小島の磯の白砂に/われ泣きぬれて/蟹とたはむる>を引き合いに出し、「総じて、啄木はいわゆる専門歌人の評価が低い傾向があるが、それはこのような過剰な表現が、世間一般に受け入れられすぎているところに起因するのかもしれない。」とする。「しかし、」と続け「いつも口ずさまれるような一般性を持っていないと、後世に残っていかない」とし、「あまりにも芸術性、文学性が高くて、一部の人々にしか理解されないといった作品は、多くの場合、時代を越えて生き残る確率が低いと言わざるを得ない。」とした。永田の言う<あまりにも芸術性、文学性の高い作品>とは具体的にどんな作品を指すのか私にはわからないが、芸術性や文学性の高い作品を専門歌人が発見して評価し、紹介することによって、短歌愛好者に広がり、一般性が備わるのではないか。啄木はその好例だと思う。いま、誰それの代表作として文章に抽かれたり、アンソロジーに採用されたり、SNSから発掘されたりする作品も概ねそんな経緯で短歌愛好者一般に知られてゆくのだろう。
 新型コロナウイルスと共にやってきた令和の短歌ブームとは、年に100万首ともいわれる短歌が「#tanka」をつけてツイート(現ポスト)されているという現象であり、それを敏感なアンテナを持ついわゆる専門歌人らが、テレビ、新聞、雑誌やインターネットの記事などを通じて、SNSに馴染まない層に広めていることだと理解した。こうしてSNSに投稿された夥しい短歌から選ばれた作品が私にも届くことになり、いまだに実作と論は短歌を推進する両輪だと信じている私が、それをどう読み、評価し、文章にするかが課題になると意気込んでみても、SNS界隈の短歌愛好者から「無名歌人の評価はいらない」「好きでやってるんだからほっといてくれ」と呟かれそうな気がするのである。
 今年の7月6日の午前中、Yahoo!の<リアルタイム検索で話題のキーワード>で「サラダ記念日」が第1位になった。36年前「サラダウイルス」の蔓延によって多くの結社が会員を増やし、短歌大会が増え、バブル景気とともに活況を呈した短歌ブームだったが、旧態依然とした歌壇には大きな変化をもたらさなかった。従って「サラダ記念日」前後の昭和末期の短歌ブーム以降に短歌を始めたと思われる歌人が、ようやく大会の選者や、歌人団体や結社の幹部に収まっているが、令和の短歌ブームをどう捉えているのだろうか。かつて、私にとって短歌の在りようを知る手段であった短歌総合誌紙は、令和の短歌ブームに近づく側と、距離を置く側とに分かれているように思われる。
 私は古典和歌と現代短歌は別種だと認識しているが、SNSに投稿される短歌は、現代短歌とは生息地の違う<亜種現代短歌>であろうと思う。「漫才師」に対して「コント師」なる言葉が生まれ、SNS界隈では「素人のイラストレーター」が「絵師」と自称するように、SNSを中心に活動する短歌愛好者が、従来の歌人との差別化を図るために、たとえば「短歌師」などと自称するようになって、令和の短歌ブームがブームでなくなったとき、亜種現代短歌が現代短歌と歌壇を駆逐しているのかもしれないな、と思っている。


【プロフィール】
石川幸雄(いしかわ・ゆきお)
1964年、東京都生まれ。「詩歌探究社 蓮」代表。個人誌「晴詠」編集発行。歌集に『解体心書』『百年猶予』など。共編著に『誰にも聞けない短歌の技法Q&A』『恋の短歌コレクション1000』など。日本短歌総研上席研究員。

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