生まれつき暑さは苦手で、この夏は記録的な猛暑にしばしば体調を崩した。終わりの見えない熱波の日々に、つい秋の訪れを感じさせるものを探してしまう。北国から届いた手紙の「爽涼の候」という挨拶文、バス停の脇で揺れているコスモスの群れ、ひんやりとした手触りのガラスペンもそのひとつである。
散歩の途中いつも立ち寄る鎌倉の小さな雑貨店で、ある夏、ガラスペンの小特集が組まれていた。海沿いの腰越に住む作家の手づくりで、お団子のように玉が連なったもの、波形の文様が彫り込まれたもの、握りの部分だけ膨らみを帯びたものなど形もさまざまだ。空色、草色、桃色とカラフルで目移りする中から、軸が太めで手になじむ無色透明の一本をようやく選び出した。
インクの名前も洒落ていて、この季節なら「月夜」という濃紺、「山葡萄」の赤紫、「霧雨」のくすんだグレーと自然のゆたかな色彩を彷彿させる。まずは秋の始まりにふさわしい「月夜」のサンプルを手に取ってみた。ガラスペンの先をインク瓶に浸し、かたわらに用意されているメモ用紙に試し書きをする。こういうとき、無意識に「あああああ…」と「あ」を並べてしまうのは何故だろう。
書き味をためす紙片に「あ」を並べ秋のあ、あなたのあ、と胸に告(の)る /『せかいの影絵』
そうしてめぐり合ったガラスペンは、もっぱら手紙を書くときに使っている。原稿はパソコンだし、日常的な連絡はメールのご時世だが、お礼や感謝の気持ちを伝えるのは手書きでなければ…と思う最後の世代と言えるだろうか。
手間がかかるのではと誤解されがちなガラスペンだが、ねじれたペン先にインクが溜まり、はがき一枚分くらいはインクを付け足さずに書き上げることができる。ガラスの尖端が硬いので、ペンを走らせている間、さりさりとかすかな音が立つのも涼しげだ。スケート靴の刃が氷の盤面をけずる音にも似ていて、一筆したため終えるまで、氷上を滑るような心地よさを味わうこともできる。時には、便箋の縦罫が飛行機の滑走路のようにも見えてくる。書き終えたばかりのひと文字ひと文字に翼が生えて、そこから空へ飛び立ってゆくような。
秋のさやかな滑走路見ゆ ガラスペンの尖(さき)を便せんから離すとき /『せかいの影絵』
わたし自身も人生の秋を迎え、ここ数年、親しい人を亡くすことが多くなった。好きだった花が咲いたとき、好きだった食べものの旬を迎えたとき、ふと「あの人に手紙を書きたいなあ」と思い、やがて「あの人はもういないのだ」と気づいて、手にしたガラスペンを仕方なくそのままに擱く。書きたくても書けない。話したくても話せない。人を亡くすとはそういうことなのだ。
気持ちの整理をつけるために、投函するつもりのない手紙を書くというのもひとつの方法だろう。けれど、届けようのない手紙を書くという頼りないことが出来そうにないわたしは、その代わりに歌を詠むことで悲しみを紛らせているのかも知れない。
月夜といふ濃紺にひたすガラスペンのねぢれの尖(さき)からひらかれる秋 /『せかいの影絵』
プロフィール
松本典子(まつもと・のりこ)
1970年千葉県生まれ。「かりん」選者・編集委員。第46回角川短歌賞受賞。歌集『いびつな果実』(第4回現代短歌新人賞受賞)、『ひといろに染まれ』、『裸眼で触れる』、『せかいの影絵』。