正岡子規に〈歌玉は色々あれど秀真のは白く左千夫は黒くしありけり〉という作品があって、香取秀真と伊藤佐千夫を対比してる。白黒は、むろん善悪ということではないだろうが、金属工芸、とくに鋳金の分野で大きな足跡を残した香取秀真の、その作品は黒々として、そうすると、彼の中の「黒」の部分は工芸に、「白」の部分が歌のほうに昇華されているのか?と想像したりする。
秀真の短歌作品は、1950年代に全歌集が出ているが、古書でも相当な値段で手が届かない。国会図書館のデジタルサービスが充実して、登録すれば限定的な閲覧は可能になっているので、いずれじっくり読んでみたいと思う。
秀真について言及する作品は、わりあい多く、たとえば同時代の安江不空。『安江不空全歌集』から引く。
文机によるはふさはず歌ぬしの秀真を見るは鋳屋処(ふきやど)ぞよき 安江不空
夏まけて火床(ほと)に汗垂(た)り、秀真(ほつま)もや、真金にかまけ歌もあらぬか。
2首めは秀真が作品を出してこないということを、「本業が金属工芸ではしょうがないなあ」というがごとき作品。長塚節にも、詞書「秀眞氏の消息たえたること久し、人はいふ其職業に忙殺せられつゝあるなりと(後略)」を伴う「戯れに秀眞氏に寄す」6首がある。当時の人のつながりも見えて面白い。
さてこの1首めの「鋳屋処(ふきやど)」。おそらく炭火の火力をあげるために鞴(ふいご)を使うような場面なのだろう。
鋳金というのはどんな工程なのか。便利なことに、これも「鋳金 工程」のようなキーワードで検索するといくつも出てくる。伝統的な方法(香取秀真の制作現場もそれに類するものだろう)のドキュメンタリーは、鋳型をつくるまでの工程の複雑さに驚かされる。アジアの国々で安価に製造される鋳造工程の動画も見ていて飽きない。欧米の若者が自宅ガレージでアクセサリーを作っていたりする。
だいたいのものは、金属のインゴット(ブロック状の塊)や屑金、(日本の法律には抵触するが)硬貨などを溶解して鋳型に流し込むのだが、はてさて、その金属はどうやってできたものか……と、関心は逸れてゆく。
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かつて日本三大銅山と呼ばれたの別子(愛媛)、足尾(栃木)、日立(茨城)。その別子は、近世から住友の仕事であり、大阪の私の仕事場の近くには「住友銅吹所跡」が残っている。別子の銅鉱石を山中で前処理した上で大阪市中に運び、そこで精錬した銅地金(竿銅)が長崎に運ばれて貿易に用いられたという。
住友関係者は川田順や鈴江幸太郎はじめ歌人は少なくないが、おおかたは技術系からは遠く、鉱山にかかわる歌は見つからない。ああ、なるほど、と思ったのは住友財閥の当主であった泉幸吉の作品。
入坑を送るとわれは目を注ぐ人車(じんしや)の上の一人一人に 泉幸吉『急雪』
坑内は奥に入るほど蒸し暑く礦塵にほふ澱(よど)む空氣に
瑞穂なみ黄金(くがね)に榮ゆる四國より今日の御(み)ちぎり言祝ぎまうす
実務には携わらないけれど、現場に足を運ぶ。「一人一人」に目を向け、国の発展の一翼を担っていることを「言祝ぐ」のである。オーナーというよりも、主宰者というような立ち位置だろうか。「黄金」は、銅の金属色というだけではなく、銅鉱に微量に含まれる金や銀が副産物として得られることも含んでいるかどうか。
ずっと時代を下って、これは銅精錬にかかわる仕事をしておられた方の作品。
ひたすらに生産効率最適化もとめ来しわが半生なりき 杉本信道『ひとすぢの道』
出始めし電算駆使し銅精錬の究極のすがた追ひもとめたり
純酸素使はば精錬の様相の一変せむを見出だしたりき
ここで「吹く」の話に戻るのだが、香取秀真の「吹く」は、おそらく炭火をおこすための空気。近世の「銅吹」や、ここで「純酸素」というのは精錬にかかわる、もうすこし違う空気(酸素)の使い方になる。鉱石や、それが融解したものに吹き込んで反応させるための空気だ。
銅精錬にかかわるいくつかの会社の説明を見てゆくと、細かくした銅鉱石(硫黄や鉄を含む)と酸素豊富空気を混合して炉の中に吹き込むと、恐ろしいことに自然発熱してその熱で溶解するらしい。杉本作品にあるように「純酸素」がベストなのだろうけれど、コストの問題や、安全性などの観点で適切な濃度が設定されているのだろう。酸素を送って発熱するというのは酸化反応。鉄や硫黄が酸素と結合して分離され、次第に純度の高い銅になってゆく。金属に酸素というと、錆びてしまいそうだが、金属と結びついた不純物のほうが選択的に酸化されやすいような場合には酸素を吹き込むことで純粋な金属が分離されるわけだ。
さらに細かい工程では、酸素を取り除くための還元反応のためのガス吹き込みということもあるのだが、私も十分な説明はできないので略す。
現代の理屈ならば空気を吹き込むことの意味も説明はできるし「電算駆使」で最適解を求めるのも難しくない……こともなくて、妥当な計算条件を与えるのたはいへんだし、理論と実験と、実際の製造工程を実現するのもたいへん。だが、青銅器を使いはじめる時代の何代にもわたる試行錯誤、その後の量的に銅地金や銅製品が必要となる時代の試行錯誤を思うと気が遠くなるような感じがする。
【プロフィール】
真中朋久(まなか・ともひさ)
1964年生まれ。茨城県出身。歌集に『雨裂』(現代歌人協会賞)など。今年6月に第6歌集『cineres』(六花書林)を刊行。