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会員エッセイ

2023/03/01 (水)

【第18回】 マリオへの伝言   大森悦子

 ゲーム業界に勤める友人が、「音と映像で社会を豊かに出来る」と言った。いまや誰もが気軽にインターネットに動画をあげられるようになり、静止画や文章だけでは伝えきれなかった情報を、映像で伝えられるようになった。とりわけゲームは音が肝心で、例えばスーパーマリオには独特の足音があるらしい。歩いている場所や靴によるのかな、なんて思うけれど、そんな理屈は抜きに、その音自体がマリオなのだろう。
 短歌は紙面やネット画面に文字が並び、その平面から映像がたち上がるのだから、もっとすごいのではないか、なんて心中で思ったりする。
 では思うだけではなくて、短歌、古くは和歌に遡り、その音楽性について考えてみる。


@季節の音(鳥の声)

  春の野に霞たなびきうら悲しこの暮影(ゆふかげ)に鶯鳴くも   大伴家持
  高槻のこずゑにありて頬白のさへづる春となりにけるかも   島木赤彦

 春に寄せる感情の、対照的な二首。家持の歌は、なにか物悲しい。「鶯鳴くも」の詠嘆が、その悲哀を際立たせている。この二日後に、「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」を詠んでいる。政治的に不遇であった頃のことか、理由はわからない。
 赤彦の歌は、高い槻の木の梢に頬白の囀りを聴き、みなぎる春を喜んでいる。丈高い感じが、長高体の美的理念に通じる。

  水鶏だにたたけば明くる夏の夜を心短き人や帰りし   詠み人知らず

 『古今和歌六帖』所収。水鶏は最近は珍しいが、古くから和歌や俳句に詠まれてきた。水辺の芦の茂みなどにひそんでいて、夏の夜にコッコッコッと高い声で鳴き、それが扉を叩くようで、その音の感じが、「水鶏たたく」という言葉を生んでいる。風情があっておもしろい。

  夕されば野べの秋風身にしみて鶉鳴くなり深草の里   藤原俊成

 「鶉鳴く」は、古里や古家の枕詞とされていたとおり、古代においてもある感慨を呼んだものらしい。のちの江戸時代には、その声を賞するために鶉を飼うことがブームになったという。鄙びた感じの鶉の声は、武士たちには凄みに聞こえたのかもしれない。


A新古今和歌集の音楽性

 新古今和歌集は、現代の字余りの多い歌に比べて、韻律的美しさがあると言われてきた。

  あけぬるか衣手さむし菅原や伏見の里の秋のはつ風  (秋上 藤原家隆)
  秋ふけぬ鳴けや霜夜のきりぎりすやや影寒し蓬生の月  (秋下 後鳥羽院)

 句切れに注目してみると、家隆の歌は初句切れと二句切れ、後鳥羽院の歌は初句切れ、三句切れ、四句切れというように、複数の句切れが音楽的快感をもたらしている。

  風吹けばよそになるみのかた思ひ思はぬ波に鳴く千鳥かな  (冬歌 藤原秀能)

 鳴海潟に、番で馴れ親しんでいた千鳥が風に吹き分けられ、思わぬ所で別々に鳴き合っている。「よそになるみ」は「よそになる身」と「鳴海」をかけ、「かた思ひ」の方は鳴海潟にかかっている。このような新古今独特な技巧も、音楽的な情調を醸している。ともすれば意味さえ犠牲にしてしまいそうな調べ重視のなかで、その調べが見事に一首に結実している。。


B滝が覚ます感覚

  滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ  『千載集』大納言公任
  冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ   佐藤佐太郎『形影』
  滝の水は空のくぼみにあらはれて空ひきおろしざまに落下す   上田三四二『遊行』
  断崖を大落下する一瀑布その純白は水の自画像   高野公彦『水の自画像』

 公任の「な音」は聴覚的な情感を誘いつつ、不滅の美を詠む。時代を生きた人間たちの名声も聞こえてくるようだ。一幅の絵を思わせる那智の滝は視覚的ながら、その飛沫が聴覚を刺激する。滝の気が、空をひきおろし、たぎつ瀬となった。「断崖」、「大落下」、「一瀑布」の濁音のあと、「純白」の破裂音が結句に像を結ぶ。

 ゲーム業界の友人に、短歌の音を話せるように歌をみてきた。比喩やオノマトペ、現代社会の声、視ていく角度はもっとある。それはまた個人的に追ってゆきたい。
さてここでカーテンを開けて、昨年末に発行された現代歌人協会編の、『続コロナ禍歌集』を読む。

  特注のアクリル板が区切る顔 顔顔顔が海を見てゐる   大西久美子
  海松色の沼となりたりふた夏をひらかぬままの市民プールは   大西淳子
  トースターの窓もきれいに拭きながらばからしいほどあなたを待った   斉藤斎藤
  ミーティング終わればさっさといなくなる窓は閉じるというより消える   永田紅
  ワクチンを打ちての帰り咲きのぼるのうぜんかづらの青空に映ゆ   宮本永子

 コロナ禍のパンデミックで、街・学校・職場から人が消え、音の無くなった世界はどこか四角い。アクリル板、プール、窓、パソコンも。それでも、のうぜんかずらの咲く空は、遥か万葉へ繋がっている。
 疫禍、戦争、歴史は繰り返す。美しく心地よい音ばかりが聞こえるわけではない。切実な音を、現代の私は拾わなければならない。マリオと影踏みをしながら、時間を歩いてゆく。


プロフィール
大森悦子(おおもり えつこ)
1968年東京生まれ。水甕所属。歌集『ナッシング・スペシャル』、『青日溜まり』
同人誌「まいだーん」に参加。 日本歌人クラブ中央幹事

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