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会員エッセイ

2023/02/01 (水)

【第17回】 水鳥の嘴振る露にやどる月影   山中律雄

  世の中は何にたとへん水鳥の嘴(はし)振る露にやどる月影

 曹洞宗の開祖である道元が詠んだと言われるものの一つで、「無常」という題の付された歌だ。月の光に照らされる水面に浮かぶ水鳥が歌われている。光景が美しいだけに、その雰囲気に酔ってしまいそうな歌でもある。
 今であればカメラでのクローズアップも可能だが、道元は鎌倉時代の人なので、掲歌のような水鳥の様子を見ることは出来なかったはずだ。歌として鑑賞すると、作為を感じるし、題がなければ鑑賞も成り立たない。ただ、道元には歌を作るという意識はあまりなく、おのれの教えを民衆に伝えるための手段として五七五七七の型を利用したに過ぎない。いわゆる「道歌」といった類のものだが、「無常」という題を付すことで、間接的に内容を伝え、より強く無常の哀れを引き出すなど、なかなか用意周到な歌と言ってもいい。
 この世の移ろいの速さ、人の命の果敢なさは何に例うるべきものであろうか。それは水鳥の嘴の水滴に宿る月の光のようなもので、水鳥が嘴を振れば、一瞬にして消え失せてしまうというのである。 
 しかしそれだけの解釈で終わってしまうと、道元の言わんとする思いには至らない。あえて深読みをし、水滴に宿る月の光のような果敢ない人生を如何に生きるべきかというメッセージに置き換えなくてはならないのだ。短く迅速なるがゆえに、おのれの命とどう向き合うべきかを考えよ、ということなのである。

 上田三四二という人がいた。上田は四十三歳の時に癌に罹患し、その衝撃を「短歌一生」の中に書いている。次のようなものだ。「…便に異常があると気づいたのは佐渡の頃からだが、医者にもあるまじき臆病な心根から目をつぶってやり過ごしてきた。それでもさすがに心配になって、佐渡から帰って二日目の三月三日、癌研究所を訪ね、消化管の透視をした。そうして胃潰瘍の診断を受け、その治療にしたがったが、一向に験が見えない。病根は結腸にあった。横行結腸が下行結腸に移る、その起始部のところに著しい狭窄のあるとわかったのは五月二十一日のことであった。「切りますか」この一語ですべてを了解して、病院を出て、帰りの路を大塚から電車に乗り、池袋で降り、乗り継ぎの間に、付き添ってきた妻とおそい昼食をデパートの食堂でしたためる間、私は心のうちで、「そうだったのか、やっぱりそうだったのか」と呟いていた。意外な、信じがたいことが起きてしまったことに動顛しながら、選ばれてしまったその運命を拒否するどんな根拠も見当たらなかった。電車の中でも、食堂でも、相客が急速に背景に退き、私の足は宙に浮いて、いわば外界は私の前から消えていた…

  告げられて顔より汗の噴きいづとおもふそれより動悸してをり
  助からぬ病と知りしひと夜経てわれよりも妻の十年老いたり
  学校にもやれぬ貧窮の母子家庭いたきかな想像の死後におよぶは 

 「五月二十一日以後」という連作の中の歌であり、おのれの境遇を知った作者の動揺が伝わってくる。こうした痛々しい歌の中にまぎれて次の一首がある。

  死はそこに抗ひがたくたつゆゑに生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ
 
 自分の死を受け止めた人の、時間に対する特別な思いが歌われている。「死はそこに抗ひがたくたつゆゑに」は大仰な言い回しだが、医師であり、癌に関する知識のある上田にすれば、私達が感じる以上に死が身近にあったことだろう。死を目の前にして、いくら抗おうとしてもどうすることも出来ない絶望感の向こう側の命の尊さに目が向けられている。今ここに生かされている一日一日は、清らかに湧き出る泉のようなものであるという感じ方は、道元の「世の中は何にたとへん水鳥の嘴振る露にやどる月影」に通じるものがある。「一日一日はいづみ」には、死を自覚したものの時間への愛惜がある。道元の歌は、他者への呼びかけであり、上田の歌は自分への呼びかけだが、一日、一日を大事に暮らしてゆこう、大事に暮らしてゆきたい、という思いがある。

 私には忘れられない歌がある。2014年に秋田県で行われた「国民文化祭」に応募されたもので、私も含めた何人かの選者の目に留まった歌だ。

  満開の桜見上ぐる 告げられし余命の季がいま過ぎてゆく

 作者は満開の桜を仰いでいる。そして桜を仰いでいる作者は病んでいて、余命が告げられているのだ。「余命の季」とあるので、告知された命は春までなのだろう。大分前の歌なので、作者はこの世にいないかも知れない。直に訪れるであろう自分の死をまっすぐに見つめ、来年は見ることの叶わぬ美しい桜を仰いでいるのである。静かな詠みぶりの中に、やり場のない悲しみがあり、死の淵にありながら生きていることへの感謝が歌われている。

 ある時私は蒲公英の綿毛が風に飛び立つのを見た。それぞれの蒲公英の綿毛を目に追ってゆくと、その運命は様々で、アスファルトの道路の上に落ちるものもあれば、アスファルトと土の境に落ちるものもある。水たまりに落ちるものもあれば、ずーっと飛んで視界から消えるものもある。同じ蒲公英の綿毛であり、同じ風に飛び立ったものであっても落ちる場所は一所ではない。一見不平等に見えながら、実は平等で、おのおのが偶然のところに落ちていくのである。人も同じだ。色々な縁を通じて様々な場所に生まれ、その与えられた環境と時間の中で生きてゆかなくてはならない。
 人は生まれ落ちるなり自分の死が約束されているという不思議な運命を背負っている。私達がこの世に存在しているのは自分の意思によるものではなく、どこからかいただいた命があって、その命の間に間に生かされているに過ぎない。蒲公英の綿毛と同じと言ってもいい。
 人や時間、或いは身めぐりを取り巻くもの、そうした全てを愛惜する心に基づいて、命短く移ろいゆくものの行方に思いを寄せる。一回限りの自らの命を、時の流れのままに押しやるのではなく、常に新しいものの訪れとして受け止め、そして迎えるという喜びが短歌にはある。
 花には花の、星には星の、海には海の声がある。ある詩人の言葉だ。短歌を作っていると、ふとした瞬間にそうしたものの声が聞こえてくることがある。その時に「今」を生きている喜びを実感する。
 昨年私は手術を受けた。十年の単位で数えていた命を、今は一年単位で数えなければならなくなった。それは自分の年齢のもたらすことでもあり、もともと人は「死への存在」としての不可避な運命を背負っているので、いつ何時、命を奪い取られたとしても決して怪しむには足りない。そうは考えているものの、今生に対する滴るばかりの未練には深いものがある。
 生存の始終は不如意であり、自分の死を終局において考えた時、その他のことは「あとさき」にしか過ぎず、自分に生ずる一切のことは、軽んずべきこととして引き受けていかなくてはならない。一切の計らいを忘れ、ただ端的な事実としての「われ」に身を置かなければならないのだ。前述の上田の「意外な、信じがたいことが起きてしまったことに動顛しながら、選ばれてしまったその運命を拒否するどんな根拠も見当たらなかった」という言葉がそれに当てはまる。
 死はいつかはやって来る。それは明日かも知れないし、五十年後かも知れない。どちらでもいい。何故ならば人には「今」しかないからだ。いつ死んでいいと思ってもいいし、長生きをして奇跡の生を味わいたいと思ってもいい。
 たまたま生まれてきたこの朗らかな偶然と、今生きていることに感謝して、私は歌を作ってゆきたい。

プロフィール
山中 律雄(やまなか・りつゆう)
1958年生れ。「運河」代表。歌集に「淡黄」「仮象」等がある。歌書「川島喜代詩の添削」にて、第十回日本短歌雑誌連盟雑誌・評論賞を受賞。秋田県歌人懇話会会長。

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