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2021/11/01 (月)

【第2回】コロナ禍の夏、渋谷の劇場で     松野志保

わが身には起こらぬ悲劇見届ける深紅の椅子に身をあずけつつ

 去年の7月、上京して渋谷のシアターコクーンで「ボーイズ・イン・ザ・バンド〜真夜中のパーティー〜」を観た。新型コロナウイルス感染の第1波と第2波の間で、今、振り返ってみると1日の感染者数はそれほど多くない時期だった。それでも世間の緊張感は今よりずっと高く、東京の友人知人に「観劇のためにそっちに行くから会おうよ」などとはとうてい言えない雰囲気だったと思う。しかし、2010年に見た舞台「真夜中のパーティー」が非常に面白くてどうしてももう一度、観たかったし、名作ではあっても頻繁に上演される演目ではないから、この機会を逃せば次はいつになるかわからない。それで思い切ってチケットを取ったのだった。
 久しぶりに訪れた渋谷は週末にしてはかなり人出が少なかった。劇場は感染防止のため観客数は通常の半分以下。前方の席に座る人にはフェイスシールドが配られていた。そんな状況だからこそ観終わった後の喜びは大きくて、満ち足りた気持ちで帰路についたのだった。

 「真夜中のパーティー」の舞台は1960年代後半のニューヨーク。主人公マイケルのマンションにゲイの友人たちが集まり、仲間のひとりであるハロルドの誕生日を祝っている。そこに突然、ストレートの旧友がやって来たことが引き金となって不穏な空気が流れ始め、その場にいる者たちが隠していた胸の内が次々に明らかにされていくというストーリーだ。
 主人公のマイケルを含め、登場人物たちは皆どこかしら周囲とも自分自身とも折り合いをつけられないまま生きている。その背景には、性的マイノリティの人々を取り巻く状況が今よりもはるかに厳しかった時代があるわけだが、自分のありようを受け容れられない苦しみと、それゆえに周囲に攻撃的な言動を取ってしまうやるせなさは、現代の観客にとっても他人事ではないものとして迫ってくる。

 今回の舞台は構成が整理されて展開がスピーディーになった結果、前回の観劇時、私に強い印象を残した台詞が削られていた。10年以上前の記憶を頼りに書くので、実際の台詞とはやや異なっていると思うが、誕生日を祝われていたハロルドが自分自身について「私の中身は空っぽなんだ。それを本や映画や音楽で埋め、さも中身があるように見せて生きているんだ」と語る。これは当時の私にとってなかなか痛烈な言葉だった。
 かつて私が生まれ育った田舎を出て東京で暮らしたいと願い、それを実行した大きな理由のひとつは、それこそさまざまな本や映画、音楽、さらには美術展や演劇にいつでも触れることができる環境がうらやましかったからだ。望みどおりにそれらを享受して、有意義で文化的な日々を送っているつもりだったところに冷や水を浴びせたのがハロルドの台詞だった。当時、30代後半で、振り返れば過ごしてきた歳月がそれなりの長さになり、この先も自分がどのように生きていくのかがある程度見えてきた時期だったから、余計に身につまされたのかもしれない。
 時を経て同じ舞台を再び観て思ったのは、本や映画、音楽と同様に、観劇も虚ろな自分を埋めるための行為かもしれないけれど、それはコロナ禍にわざわざ上京する程度には私にとって必要なものだということだ。言葉を紡ぐためには、言葉に打ちのめされなければならない。
 誰かと一緒に舞台を見て、終演後にその感想を気兼ねなく語り合える日々が早く戻りますように。



プロフィール
松野志保(まつの・しほ)
1973年、山梨県生まれ。高校在学中より短歌を作り始める。1993年、「月光の会」に入会。2003年から2015年まで同人誌「Es」に参加。歌集に『モイラの裔』、『Too Young To Die』。2021年4月に第3歌集『われらの狩りの掟』(ふらんす堂)を刊行。

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