昨年2024年3月に逝去した歌人の村木道彦は、僕の高校の恩師である。静岡県立浜松西高等学校で、1972年から3年間、古文を学んだ。源氏物語の枕に語られる恂{邦雄や春日井建、寺山修司の言葉のきらめきを、板書されたやや癖のある文字とともにほのぼのと思い出す。時には「どうですか、なかなかうまいもんでしょ」と自作を語ることもあった。「うまいんだけど、なんかちょっとね……」と自嘲しつつ。1974年、上梓されたばかりの第1歌集『天唇』を小脇にかかえて教室へ現れた朝の少しはにかんだ横顔を昨日のことのように記憶している。
めをほそめみるものなべてあやうきか あやうし緋色の一脚の椅子
『天唇』所収のこの一首をしのぐ衝撃には、古今の名歌をもってしても、いまだに出会えないでいるが、「なんかちょっとね……」とひとりごちた歌人の胸中には、すでにうた≠ニの別れが兆していた気がしてならない。登場した瞬間に完成してしまっている、どのカテゴリーにも属さない才能は、おそらく悲劇の最たるものなのだろう。村木さんが――思春期の青い自意識が、そのまだ若い教師を「先生」と呼ぶことをどうしても是としなかったのだ――実際に作歌を中断するのは3年後の1977年だったとされている。遅れてきた隠れエピゴーネンの僕が短歌を作り始めるにはさらに20余年の歳月が必要だった。
村木道彦は元来視力に若干の不具合を抱えていて、ものを見るとき、決まって少しまぶしそうに目を細めた。すべてひらがなで表記された上の句は、それが日ざかりの一場面の描写であると同時に、傍らにいる者にとっては、ごくありふれたリアリズムでもあったのだ。無論、修辞の解釈は様々だ。下の句「あやうし緋色の一脚の椅子」に揺らぐ玉座を想起することも可能だろう。しかしながら、そうしたつじつま合わせは「既成の思想に宙吊りにされた〈生〉などぼくらには関係ないのだ」と1970年の「短歌」3月号に掲載された歌論「ノンポリティカル・ペーソス」で宣言した村木作品の読み方としては、いささか的外れのそしりを免れないことも自覚しなければならないだろう。この「椅子」が実在するか否かを、ましてや何の喩であるかを、口角泡を飛ばして議論する以前に、村木道彦には、そしてあの日の僕らにも、きっとそれは視えていたに違いない。「めをほそめ」たまなざしの先に。
世界は危うい。思った以上に。ましてや「宙吊り」ではない〈生〉を追求し続ける詩人として生きなければならない宿痾にも似た枷を自ら負っているのだとしたら。「ノンポリティカル・ペーソス」はその困難と覚悟を今も短歌の実作者である僕らに問いかけているのだ。
プロフィール
清水正人(しみず・まさと)
1956年静岡県生まれ。「水甕」選者・編集委員。歌集に『波座(なぐら)』。静岡県歌人協会副会長。