ボスニア・ヘルツェゴビナの紙幣の肖像はすべてが詩人である。詩歌を重んじるお国柄で、現地語に翻訳された俳句が「HAIKU」として知られ、創作する人も少なくないと聞いてかねて気になっていた。この地の歌手、ヤドランカの歌にも日本語の俳句をそのまま歌詞にした「HAIKU」という歌がある。
首都サラエボのサラエボ大学哲学部で日本語教育を正規の授業から夜間の市民講座まで一身に担っているのは宮野谷希さんである。授業のほかにも月に一度、「日本語の会」という日本語愛好者のパーティーを主催し、ボスニア語と英語を自由に操りながら日本の文化を伝え、現地の人々に慕われている。サラエボ大学に日本語専攻はなく、日本語は選択科目なのだが、驚いたことにはそこから専門家が多く巣立っている。大使館等で日本語通訳、翻訳に従事する人、日本語専攻のある近隣のベルグラード大学やリュブリアナ大学、また日本の大学の大学院に進学する人など。やがて彼らは次の世代の日本語の指導者となることだろう。宮野谷さんの授業は、現地の学科長や学部長も信じられないほどだと称賛する驚くべき成果を上げているのである。
さて、このサラエボ大学哲学部に、私は、つい先日、2025年3月初旬に赴いて短歌の話をするという幸運に恵まれた。その感動の一端を、お話したい。
東京は雪が降ったというのに、サラエボは快晴続きで日中の最高気温は17度と春の陽気に恵まれた。日本語学習者を対象とする「短歌ワークショップ」と、広く関心のある人々に向けた公開講座「短歌―1200年を超える日本語の定型詩」の二つを行う約束で、ズームでの打ち合わせ等、数か月前から準備をした。特に公開講座は日本語を知らない人も対象なので、ボスニア語の通訳付きである。30年前に戦争を経験したサラエボの人々を思いつつ例歌を選び、書き下ろした原稿を宮野谷さんに送った。宮野谷さんは、卒業生のマテアさん、アイラさんにボスニア語に翻訳してもらった上で、ベオグラード大学の文学の専門家、ディヴナ先生に校閲してもらって、特に短歌の翻訳の質を高めたという念の入れようで、サラエボの先生方からは、ぜひ印刷物にして残すべきだというご意見をいただいたほどである。パワーポイントのスライドも宮野谷さんがボスニア語を入れて完成してくれた。
現地では当日司会をする宮野谷さん、通訳の(もう一人の)アイラさんと打ち合わせをする一方で日本語クラスの見学、学習者の皆さんとの交流会、先生方との意見交換をして理解を深めたところで本番を迎えた。
「短歌ワークショップ」には初級から上級までの日本語学習者14人が参加。名歌の穴埋めや短歌づくりを行った。歌は、橘曙覧の独楽吟の替え歌の形で、それぞれに幸せだと思うときを短歌にしてもらい、提出された作品で歌会を楽しんだ。最高点を獲得したのは〈たのしみはさくらが咲いて青い空 あなたの明るい笑顔見るとき〉。日本の桜を想像して作ったそうだ。わかりやすい。二番目は〈たのしみは日差しの中で目を覚まし 悩みなくなりぽかぽかなとき〉。自らの経験に基づき、結句に学習者に難しいと言われるオノマトペを使った意欲作である。点が入らなかった作品に〈たのしみは試験のあとは自然だなあ、頭は平和にすんでいるとき〉というのがあった。結句の「すんでいる」には「住んでいる」と「澄んでいる」をかけたというから、なかなかのものである。が、思い余ってことば足らず。ちょっとわかりにくい。英語での説明を聞くと、「試験が終わるとほっとして頭のなかが大自然の森の中のように静かになる。その森には平和が住み着いて澄み渡っている。そんなときが幸せだ」ということであった。なるほど、よくわかった。それなら、と添削案を示そうと呻吟したが力及ばず。案を出すことができなかった。どなたか、この気持ちを短歌に表す案を出していただけたらありがたいです。
翌日が公開講座であった。学科長はじめ30人余りが集まった。約半数は日本語に初めて接する人だった。みなさん積極的かつ協力的で、長時間、集中して共感しながら聞いてくださっているのが伝わった。おかげで滞りなく話し終え、質疑応答に移った。三人ほどの質問のあと、女子学生が私に自作を紹介してほしいと言った。冒頭に、私が短歌を作ってもいると紹介されていたのだった。
思ってもみなかったので用意がなく、私は半ばうろたえながら、2021年に母を亡くしたこと、その寂しさは想像以上だったことを話したうえで、次の一首を挙げた。
「お母さん」と私の中へ呼びかけた 数えきれない母が振り向く
そのとき、通訳のアイラさんが声を詰まらせた。最前列の女性がティッシュを渡し、アイラさんは涙をおさえながら短いボスニア語で、文字通りの直訳を伝えたようだった。すると、どうだろう。会場が鎮まり、大勢が涙を浮かべるばかりか、すすり泣きまで聞こえてくるではないか。「この歌は」と説明しようとしたが、アイラさんは泣いているし、会場もそんな風で、時間もおしていた。司会の宮野谷さんが閉会を告げた。こうして、大きな拍手をいただいて講演を終えたのだった。帰りがけに「お話もよかったですが、最後の短歌を聞いて、短歌とはどういうものか、わかりました」と言った人がいた。思いがけないことばに、私はしばし声もなく、最後の一人が退室するまで見送ったのである。
あとで知ったことには、アイラさんは幼いときサラエボ包囲戦で父を亡くしたそうだ。一人で育ててくれた母への思いは格別なものがあったのかもしれない。1992年の春から4年近くに及んだ戦争の傷跡は深い。人びとは、私には想像もできないほどの悲しみを、いっぱいに湛えているのかもしれない。
宮野谷さんが作成したアンケートの満足度の5段階評価では平均4.9というあたたかい結果をいただくことができた。最後のメッセージ欄には「また来てください」という言葉が並んでいたが、多くが英語で書かれている中、一人の日本語によるメッセージに息を呑んだ。おそらくは日本へ一度も来たことのない、日本から遠く離れたサラエボの日本語学習者の、この隅々まで行き届いた日本語表現の美しさはどうだろう。
「お越しいただき、日本の歌の新しい世界を紹介してくださり、本当にありがとうございました。どの瞬間もとても楽しかったです。」
プロフィール
河路由佳(かわじ・ゆか)
1959年生まれ。大学教員、博士(学術)。歌集に『日本語農場』『百年未来』『魔法学校』『夜桜気質』『現代短歌文庫 河路由佳歌集』『オレンジ月夜』。その他の著作に『日本語教育と戦争――「国際文化事業」の理想と変容』『日本語はしたたかで奥が深い――くせ者の言語と出会った〈外国人〉の系譜』『土岐善麿の百首』など。新暦短歌会会員、十月会会員、日本文藝家協会会員。