昨年の後半は頻繁に帰省をした。毎月、時には二週続けて帰ることもあった。父の入院に伴うあれこれのためである。
私の故郷は山口県の防府である。大学入学以来暮らしている京都からは新幹線・在来線の乗り継ぎになるがそう不便ではない。ただし、帰省の頻度はこの三十年余り盆正月が基本で一、二回おまけがつくかどうかだった。顔は見せるが、仕事もあるからしょっちゅうというわけにはゆかない。竹山広にこんな歌がある。
男(を)ざかりとなりし二人子盆にきて四日もゐるといふではないか
『一脚の椅子』(一九九五年)
長居すれば嬉しいというわけではないのだなと気づかされると同時に、忙しいなか帰ったのだから三泊四日ぐらい孝行させてくれよとも思った。もっとも実家にいるとそのうち烈しい親子喧嘩が起こり、口もきかないまま京都に戻ることもたびたびあった。年に何日といるわけではないのに、ちゃんと話ができたという感触をもつことは次第に稀になった。
いよいよ容態が深刻になって帰郷は増えたが、そうなると父はもう激論を交わすどころではなくなり、「気分は?」「お茶飲む?」「明日また来るけえ」とますます簡素なものになった。おかげで喧嘩には到らなかったが、父の昔のことなど複雑な話は聞きそびれた。もう手遅れだと思いながら見舞を続けた。
病院での物足りなさを埋めるように、離郷せず留まっていたら行きたかった場所を訪ねた。〈元日の朝湯が熱い。ふるさとに働きて金を得たることなし〉(拙歌集『駅程』)というわけで、実家周辺で働いて稼いだ経験はないから、飲み食いや気晴らしのための店を知らない。老舗の喫茶店、蕎麦屋……、鎌倉時代のはじめ東大寺再建に用いる材木の切り出しのために肉体労働をした人々を癒やしたという阿弥陀寺の石風呂(今でいうサウナ)に入ったりもした。またあるときは、新幹線以外の足も知っておくという口実で「銀河」という夜行特急で帰ったこともあった。学生の頃は上京のさいは節約のために大垣夜行(寝台のない快速列車)を利用したものだが、久しぶりの夜行は簡易寝台に横になっても眠れず、歌を作って過ごした。父が大変なときになんと呑気なと呆れられるにちがいないので、母には内緒にした。じっさい、そんなことをしているときは、父には余命があると思っていた。もう少し故郷への旅に小さな楽しみを見いだしたかったが、それもできなくなった。正月休みの後、松が過ぎぬうちに他界したからである。
みまかりし父はいまはに「もう、いい」と言ひて右向きたりしときの間(ま)
岡井隆『人生の視える場所』(一九八二年)
この歌が載るときにもう父はゐないさう思ひつつ歌を直しゐつ
大辻隆弘『景徳鎮』(二〇一七年)
「お父さん万智やで」としか言えなくて「やで」ってなんやと思う枕辺
俵万智「白き父」(「短歌研究」二〇二四年五・六月号)
看取りの帰省をしながら歌をたくさん作ったが、見たまま考えたままを言葉にするだけで、人の歌を参考にすることはなかった。四十九日近くになってようやく同じモチーフによる作品としてぱっと思い浮かんだのが右の三人の歌である。父と交わす言葉、父を思う言葉……発せられる一語一語への鋭い反応がそれぞれの作歌の起点にある。父の死の前後で、これらの歌の解釈が変わったわけではないが、身に沁みて感じるところはある。
プロフィール
島田幸典(しまだ・ゆきのり)
1972年生まれ。歌集に『no news』(現代歌人協会賞・現代歌人集会賞)、『駅程』(日本歌人クラブ賞・寺山修司短歌賞)。第72回山口県芸術文化振興奨励賞。「八雁」選者。現代歌人集会理事長。