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会員エッセイ

2025/06/30 (月)

【第46回】里村とアジャ   宇田川寛之

 久しぶりに女子プロレスを観戦した。去年、Netflixの「極悪女王」が話題になり、女子プロレスが再度注目されているそうだが、観戦は何年振りか。わたしは熱狂的なファンだったことはないが、それでも女子プロレスを観ることは少なくなかった。30年以上も前、兄の結婚式に全日本女子プロレス所属のレスラー5人が列席してくれたのだから、人よりも身近な時期があったのだ。
 昨年11月、藤原龍一郎さん、森澤真理さんとお会いしたとき、森澤さんに女子プロレスを詠んだ一連があることを知った。それが今年刊行された歌集『地吹雪と輪転機』に収録されている「場外乱闘」。里村明衣子とアジャコングの試合を観ての一連である。森澤さんは新潟日報の記者。「新潟市出身のプロレスラー里村明衣子さんにインタビュー。アジャコング戦を見る」という詞書があっての11首。以下、6首引用する。

  あかあかと猛禽類の眼据え里村明衣子リングに立てり
                森澤真理『地吹雪と輪転機』
  「でかいね」「黒い」囁きは充つ進駐軍迎えしかの日と同じ速度で
  ゆっくりと観客は逃げパイプ椅子宙を跳びたりひかりを曳いて
  アジャコングの本名江利花(えりか)米兵の父が好みしヒースの和名
  じりじりと苦痛の総和高まりてコロッセウムに射す日の白さ
  デスバレーボムにて敵を沈めたる里村もろ手に顔を覆えり

 引用2首目には「アジャコングは一流の悪役」という詞書。臨場感のある一連である。正統派と悪役の戦いは、初観戦者にも分かりやすい。アジャコングの本名は宍戸江利花。それはプロレスのファンだったら誰もが知っていること。そのギャップに驚くこともない。1970年東京都立川市出身。若くして母を亡くし、天涯孤独の身である。
 打ち合わせのあと、酒の勢いか、4月29日開催の里村明衣子の引退興行を観に行くことになっていた。観に行くからには楽しみたい、それには予習が大切。当日出場しそうな女子プロレスラーの名前や経歴を必死に覚える。かつては25歳定年制だったが、今ではわたしより年上で現役を続行しているレスラー数多くいることを知る。
 森澤さんにお任せしたら見やすい席のチケットを手配してくれた。予習のおかげで、里村は「女子プロレス界の横綱」と呼ばれているということを知った。横綱、つまり心技体が備わっているということか。これは横綱の引退興行なのである。 
 祝日の12時半開始。チケットはソールドアウト、会場は超満員。始まる前から熱気が凄い。観客の平均年齢は思ったより高かった。浮いてしまうか心配だったが、緊張しつつも馴染んで観戦する。
 里村のことはデビュー時から知ってはいた。長与千種の弟子として中学卒業後にデビュー。驚異の新人として注目され活躍するが、11年後には所属団体が解散。その前後に新崎人生に声をかけられ、仙台には地の縁がないにもかかわらずセンダイガールズプロレスの創設に参加。以来、中心として活躍、社長業もこなすようになった。現在、45歳。女子プロレスのブームとは無縁だったが、実力は高く評価されている。
 これまで里村の一度も試合を観たことがなかった。最初が引退試合、つまり最初で最後。引退試合はタッグマッチ、相手にはアジャコングが居た。今でもライバル関係なのだ。
 メインイベントではまさに死闘の末、里村がアジャを倒し、自ら引退に花を添えた。
 そのあとの引退セレモニー。いわゆる女子プロレスのレジェンドたちが次々に花束を渡してゆく。そこまで思い入れがないはずなのに、見ているうちに感極まった。今後、わたしに女子プロレスブームが来ないとは限らない。
 そういえば、アジャを詠んだことがある。歌集にも収録した次の一首。

  同い年なるアジャコングの奮闘を観つ日曜に家族揃つて
                    宇田川寛之『そらみみ』

 そうなのだ、面識はないが、同い年なのである。アジャを初めて観たのは、もう30年以上も前。まだ中堅、そして行き詰まっていた時期。全日本女子プロレス提供の試合が、普段と違うファン層から絶大な評価を得る。男性ファンから支持されたのだ。この時期を境に一気に飛躍する。それから程なく伝説のブル中野との金網デスマッチがあった。
 この一首を詠んだのは、わたしもアジャも40代に差し掛かろうとしていた頃。試合を観て詠んだのではない。「奮闘」とあるのは、バラエティー番組に出演していたのだった。同い年の奮闘は何となく気になっていた。
 里村は引退して、アジャは現役を続行する。さすがに満身創痍のようだが、それでもプロレスラーを続ける。体力の限界ではなく後進の指導のために潔くやめるも良し、覚悟をもって限界まで続けるも良し。いずれも尊い。


プロフィール
宇田川寛之(うだがわ・ひろゆき)
1970年、東京都北区生まれ。1991年、「短歌人」入会。2005年より編集委員。歌集『そらみみ』(2017年、いりの舎)。

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